2019-08-12

スーパー全盲さいちちゃん、ただの全盲になる

皆様こんにちは!
アルルネ鍼灸治療サロンのさいちでございます。

前回に引き続き、さいちのこれまでの施術歴について書いていきます。

所沢市のS治療院を退職後は、港区のT女学院に入職致しました。

障碍者雇用促進法では、民間企業の場合、社員数の2.2%以上の割合で、障碍者を雇用する努力をしなければいけないと定められています。
つまり、45.5人に1人は、障碍者を雇用するように努力しなければいけないという事です。

そこで日本では、私のようにあん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師国家免許を保有する視覚障碍者を雇用し、社員・職員の福利厚生として、マッサージや鍼業務に従事してもらうためにマッサージルームを開設している民間企業や大学がたくさんあります。

このように企業内・大学内で社員・職員の専属としてマッサージや鍼業務を行う施術者の事を、「ヘルスキーパー」と言います。
社内・大学内にヘルスキーパーを雇用する事で、企業・大学は法定雇用率を達成できますし、私たち視覚障碍者もスキルを生かせる仕事に就けますし、社員・職員の方々も職場にいながらにして心身のリフレッシュができるという、夢のようなシステムです。

ヘルスキーパーとしてT女学院のマッサージルームでは、大学の教授や職員さんに、マッサージ、鍼、オイルマッサージの施術をさせて頂きました。
前職のS治療院の業務内容と全く違ったのは、

①マッサージと鍼の他に、オイルマッサージができた
②お客様が高齢者ではなく、働く世代の若い人たちだった
③施術者は複数在籍しているわけではなく、私1人で運営しなければならなかった
④習得した美容鍼を実践的に行う機会に恵まれた

T女学院で勤務させて頂けたおかげで、自分が今後開業するにあたりターゲットとなるであろう働く世代の若い職員さんのお体を、実践的に施術させて頂けた事は、大きなキャリアと自信につながりました。
また、院長や先輩がいるわけではなく1人でマッサージルームを運営しなければならなかったので、施術を受ける教授や職員さんの症状やご要望に対して、自分1人で施術のプランを立てなければいけなかった事も、雇用されている立場とは言え、開業後のシミュレーションにつながり、疑似開業体験を味わう事ができました。
今まで実践的に経験してこなかったオイルマッサージの鍛錬もできたし、何より、教授や職員さんからオーダーされて美容鍼をさせて頂けた事も嬉しく、自宅から2時間30分かけて通勤した甲斐あって、ただただ毎日楽しい職場でした!

次に入社したのは、豊島区にあるR教育という、教育関連のサービス企業で、こちらでも社員さんたちに福利厚生としてマッサージ施術をさせて頂く、ヘルスキーパーとして勤務しました。

こちらではT女学院ほどの多様性はなく施術内容はマッサージ業務のみでしたが、私と同世代の女性スタッフさんが多く、マッサージルームを利用する男女比としてはほぼ100%が女性社員さんだったもので、R教育では特に、女性ならではのお体の症状を具体的に知る事ができ、働く世代の女性が自分の体に対して何について悩んでいて、健康面と美容面においてどのような流行に興味を持っているのか、若い女性の傾向とそれに対する対策方法を身につける事ができました。

R教育では自分と同世代の女性スタッフさんたちと仲良くなり、勤務終了後に秘書さんとフランス語のレッスンに通ったり、休みの日にみんなで埼玉県狭山市のロッテのお菓子工場に工場見学に行ったりなど、プライベートでも楽しい思い出がたくさんあります♪

当時は、17時に豊島区の会社を退社した後、山手線で渋谷まで行き、渋谷にある人工透析クリニックで4時間の人工透析を受け、0時過ぎに自宅に帰宅する、という日々を送っていました。

R教育で勤務し始めて1年が経とうとしていたある日、職場で私が仕事をしていると、通院していた東京女子医大から電話がかかってきました。

人工透析の治療生活が始まってすぐに、膵臓と腎臓の膵腎同時移植希望の患者登録をしたのですが、人工透析を始めてまる3年で、私と適合する脳死ドナーが現れたのでした。

脳死ドナーは計画的に現れるわけではありませんから、本当に思わぬタイミングで病院から知らせが来て、「わぁ、こんな感じで連絡が来るのか!」と、ただただビックリしました。

病院のお医者さんからは、職場から直接すぐに、新宿の東京女子医大に来るように言われ、仕事を中断し、上司に事情を説明し、仕事着の白衣のままですぐに東京女子医大に向かいました。

移植手術をしてしばらく入院するとなると、最低でも2~3ヶ月は仕事を休まなければいけないにも関わらず、急な事情に対して上司が、

「ちゃんと治って必ず戻って来るんだよ!」

と、温かく送り出してくれたのを、今でも思い出します。

というわけで、もちろん自分から希望して願い出た事ではありましたが、予期せぬタイミングで脳死ドナー様から膵臓と腎臓を頂く事となり、8時間の臓器移植手術の末、子供の頃に患った1型糖尿病が治り、インスリン注射から離脱し、腎不全も完治して週3ペースで受けていた人工透析治療からも離脱し、23年ぶりに健康な人と同じ生活に戻りました。

つまり、スーパー全盲さいちちゃんから、ただの全盲さいちちゃんになりました。

人工透析を受けていた頃は食事制限がとにかく厳しく、毎日水分は1L以下、もし喉が渇いたら氷をなめるか、うがいで済ませるなどで水分をなるべく我慢しなければいけませんでしたし、カリウムの摂取も制限され、カリウムの多い生野菜、果物(特にバナナやキウイ、マンゴー、パイナップルなどの南国系フルーツ)、お刺身などの生魚はNGでした。
他にも、動物性たんぱく質や乳製品もなるべく摂取してはいけないとされているので、肉や魚ではなく豆腐や豆製品でたんぱく質を摂取したり、牛乳やバターは控えるように徹底していました。

塩分も制限されていたので、まず外食がほとんどできませんでしたし、お昼間に塩分をある程度摂ってしまったかなと思ったら、夜は食事を全くしないなどして、とにかく毎日食事について頭の中で計算ばかりしているような日々を送っていました。

移植手術が終わってから2週間は絶食でしたが、その後初めて出てきた病院の食事に、バナナがまるまる1本登場した時は、本当にビビリました。
移植手術をする以前は、カリウムの多いバナナはもはや毒とされていたので、久しぶりに1本まるごとのバナナに遭遇して、

「これを食べると、死ぬんじゃないか?」

と、目の前のバナナに本気で怯えました。
で、数年ぶりにバナナを一口食べてみて、特に自分の体に異変が起こるわけではない事を確かめて、ここでようやく、

「私はもう、バナナを食べても大丈夫な体に戻ったんだ。」

と、自分の長い闘病生活が終わった事を実感し、病室のベッドの上でバナナを片手に1人でわんわん泣きました。

でも、バナナを半分ほど食べたところでやっぱり怖くなって、残り半分は残しました(笑)

これは、私と同じく膵腎同時移植をした患者はみんな、手術後すぐの食事の時に経験する感情のようで、私の知人もみんな、「病院の食事にお粥が出てきて、食塩が備え
つけられていて、怖かった。」とか、「朝ご飯に牛乳が出てきて、久しぶりに飲んでみたら、『こんな味だったっけ?』と、牛乳の味を忘れている事に気付いた。」など言っています。

今現在はバナナ1本くらいは、ぺろっと食べられます!もう食事は怖くありません(笑)

ところで、移植手術後すぐの絶食期間の途中から、「手術のための全身麻酔のせいで
胃が全く動かなくなっているので、胃を動かすトレーニングという意味合いも兼ねて、ガムを噛むくらいならいいよ。」と主治医の先生から「チューインガム」の許可が出まして、それから私は絶食による空腹をまぎらわすために、毎日朝から夜までガムを噛むようになりました。

これがキッカケで、私の無類のガム好き人生が始まりました。
異常に「ガム」について、詳しくなってしまいました。
私がこよなく愛する企業は、マルカワ製菓株式会社です。
あの、日本人なら誰でも知っている、『マーブルフーセンガム』を作っている会社です。

基本タイプは、ほぼ正方形の紙箱の中に、いちごやぶどうやオレンジなど、同じ味の丸いガムが4個入っていますが、これを4箱分、つまり4個×4箱=16個をいっぺんに口の中に入れて噛んで、めちゃめちゃデカイ風船を作っている時がとてつもなく幸せです♪
マルカワマーブルフーセンガムを16個噛んでいると、そのうち味がなくなっていきますが、味がなくなった後のマルカワマーブルフーセンガムをひたすら噛んでいるとやがて、つきたての柔らかいお餅を食べているような感覚になり、4~5時間ずーっと噛んでいられるので、結果的に無駄な間食を防ぐ事ができます。
(ただし、マルカワマーブルフーセンガムはかなり甘く、ガム自体のカロリーは、ガム界の中では高い方だと思います。)

脳死ドナー様から頂いた膵臓と腎臓は、私の体にとても適合し、移植手術をした後は発熱したり、移植臓器の周辺に細菌が入ったりなどのアクシデントが起こりやすく、先ほども書いた通り最低でも2~3ヶ月程度入院をする必要があるのですが、

ありがたい事に私は入院中、何のアクシデントも起こらず、39日で退院できました。
脳死ドナー様とご家族の皆様には、本当に感謝しています。

私が患者として知り得てもよい情報は、脳死ドナー様は北海道にお住まいだった当時20代の男性という事だけです。
逆に脳死ドナー様のご家族は、膵臓と腎臓を受け取ったのは、埼玉県在住の当時30代の女性であるという事だけです。

ちなみに、私がもともと生まれつき持っている膵臓と腎臓は、実は移植手術の際には外に取り出しておらず、今も貞一に残っています。
もともと存在している膵臓と腎臓は、手術で取り出すには困難な場所にあるため、リスクを負ってまで取り出すのは非常に危険なんだそうで、脳死ドナー様から頂いた膵臓と腎臓は、本来存在するわけがないお腹(子宮の前)に植えられています。

おへそを真ん中にして、右側に膵臓、左側に腎臓が植えられています。

つまり、健康な人間は、膵臓を1個、腎臓を2個持っていますが、私の体には膵臓が2個、腎臓が3個あります。

さてそんなこんなで、インスリン注射と人工透析と食事制限に縛られる生活から解放され、すっかり元気になった私は、R教育に復帰して、その後1年半ほどR教育でヘルスキーパーを続けました。

次回、『さいちちゃん、謎のドイツ語レッスンに巻き込まれる』をお送りします。

次回もどうぞお楽しみに★

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8月のご予約は、全て埋まりました。

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皆様からのご予約お待ちしております(^^♪

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