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By arlune2019年9月24日In ブログ

アルルネのお得意様

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皆様こんにちは!アルルネ鍼灸治療サロンでございます。

時は13、4年前。さいちがまだ実家の和歌山にいた頃の話です。

以前の記事にも書きましたように私は大学4年生の時に目が見えなくなったもので、そこで、大学があった京都から実家の和歌山に戻り、それからは目の手術のために入退院を繰り返しながら、自宅と病院を行ったり来たりするだけの生活を続けていました。

急に目が見えなくなったので1人で外出する事もできず、朝起きて夜寝るまでの間、いや多分お昼も寝ていた気がしますが、食べるとかトイレに行くとかお風呂に入るとか、人間が生きていくために最低限必要な行動しかしない、という日々が1年ほど続きました。

しかしだんだんと、「このまま生産性のない生活を続けていてよいのだろうか?」と考えるようになり、無駄に時間を過ごしたわけではないと自分が把握できるには、時間が目に見えたり手に触れられる形になるようなものを残すという作業がベストなのではないか、という考えに至りました。

そこでとりあえず、自分の部屋にあるシンセサイザーで曲を作り始め、マイクと録音機材を買って、自分で歌を録り、いくつか曲が溜まってきたらCD-Rに焼く、という作業を黙々と部屋で1人で行うようになりました。

家の中で1人で黙々と宅録をするようになって半年が過ぎた頃でしょうか、
ある日の朝起きてみると突然、本当に突然、

ここ1年半以上見えなくなっていたはずの右目が見えるようになっていたのです。
昨夜眠る直前まで何も見えなかったはずなのに、次の日の朝には視力が回復していた、という感じです。睡眠中に何があったのでしょうか。

目の前に、ピンク色の細い1本線が見えて、その1本線を「つかめそう。」と思ったので、手を伸ばしてみたら、携帯電話の充電器の長いコードでした。

当時私は祖母と2人で暮らしていたのですが、あわてて祖母のところに行って、ここ1年は1人で全く外を歩けていなかったのが、外に出てしゃんしゃん歩いている私を見て祖母はひっくり返りそうになるくらい驚き、そのまま祖母が運転する車で通いつけの大学病院の眼科に行き、担当医に目を診察してもらったところ、

お医者さんは、「えぇ、右目だけ視力が戻っているね!」と、まるで奇跡と言わんばかりに驚いていました。

左目は相変わらず全く見えないままでしたが、何の理由だかサッパリ分からないものの、ある日突然右目だけ、ルーペを使えば読書もできるくらいに、視力が戻った、奇跡の女さいちちゃん。

1年ほど生産性のない生活を続けていましたが、とりあえずできそうな事はやってみようと音楽を始めた結果、神様が「もう1度頑張って生きなさい。」とご褒美を下さったのでしょうか。

ならば、せっかく目が見えるようになったわけだし、働かなきゃ!と思って、まずはバイトを探しました。

とは言っても、右目だけルーペを使えばやっと文字が読めるくらいの視力ではなかなかバイトの面接に受からず、面接の職場までの交通費と履歴書で逆にお金が減る一方でした。

半年以上かけてバイトの応募を続けて、ちょうど30ヶ所目で採用された職場は、和歌山駅前の百貨店の地下のパン屋さんで、ルーペを片手にレジを打って、お客様にパンを販売する、という仕事が始まりました。

なんとか自分でお金を稼げるようになったちょうどこのタイミングで、知り合いの方からお声を掛けて頂き、月1ペースで和歌山から夜行バスで東京に行き、都内のライブハウスでピアノの弾き語りのライブをするようになりました。
ライブが終わり次第また夜行バスで和歌山に帰って、パン屋で東京までの遠征費を稼いで…と、家で引き籠っていた頃には考えられない生活が始まり、今まで和歌山・京都と関西でしか暮らした事のない私にも、だんだん東京に知り合いができるようになりました。

ある時、ライブハウスの関係者から、「新しくネットオーディションのサイトができたばかりだから、音源を応募してみたら?」と言われ、気軽なノリで自分の音源を1曲応募してみました。
サイトの主旨としては、自主制作の音源を募集し、審査に通過した音源だけサイトで公開される、というものでした。
もう15年ほど前の話なので、そのサイト自体現在も存在しているかどうかは分かりませんが。

後日そのサイトから、音源が審査に通過し、サイトに公開されるというメールが届きました。

今思えば、私の適当な音源ですら審査に通過できるくらいなので、まぁたいしたサイトではなかったのは間違いないのですが、私の音源が公開されているページを見ると、私の他にもたくさんの応募者の音源が公開されていて、私の音源を含め、20曲ほど掲載されていたでしょうか。

各アーティストの音源が縦にずらーっと並んでいて、

私の音源の真下に、私の残りわずかな視力でも目に留まるほどの謎めいたアーティスト名と、さらに謎めいた曲名が書かれている事に気付きました。

ザ・ボヘミアンズ
『ガール女モーターサイクル』

ちなみにこの時採用された私の音源は、『ゲームの達人』という超かわいいタイトルだったんですけれども、

それより何この、『ガール女モーターサイクル』って。

が、とりあえずこの、ザ・ボヘミアンズというバンドの『ガール女モーターサイクル』という音源を再生してみたところ、もう!1度聞いただけで、「あぁっ、出会ってしまった!なんていい曲なんだ!!」と、頭を抱えてしまったさいちちゃん。

この『ガール女モーターサイクル』という曲は、ザ・ボヘミアンズの『憧れられたい』というアルバムに収録されていますが、私が初めて聞いた『ガール~』は、商品化された『ガール~』とはサビ以外、イントロ、Aメロの歌詞もメロディーも違い、そもそもキーも異なります。
言わば、『元祖・ガール女モーターサイクル』といったところでしょうか。
メロディー、歌詞、コーラス、どこを取ってもセンス満開でした。

すぐに、「ザ・ボヘミアンズ」というバンドをインターネットで検索してみました。

すると、おそらくバンドメンバー本人たちかもしくは近場の知り合いが作ったであろう、かなりインスタントな雰囲気のホームページが見つかりました。

ホームページのトップページの下部の方に、以下のような内容が記載されていました。

【毎月抽選で100名様に、デモ音源CDをプレゼント!応募先は…】

応募先となるメールアドレスとともに、上記のようなとっておき情報が!
もちろん迷わずすぐに応募のメールを送ったさいちちゃん!

すると…

応募してまだ5分と経たないうちに、「平田」という署名で、とある男性からメールが届きました。

平「ホームページを見て本当に応募してきたのは、あなたが初めてです。」

なんと…私が胸ずきゅんした「ザ・ボヘミアンズ」というバンドは、私が胸ずきゅんしたわりにまだ全然売れていないどころか、結成して間もないバンドでした。

とりあえず、まだ売れているわけでもない「ザ・ボヘミアンズ」というバンドの「平田」と名乗る男と、メールで会話をしてみる事にしました。

「平田」という男は、山形に住んでいて、「ザ・ボヘミアンズ」というバンドのボーカルをしていて、ライブの時には目の周りは黒くメイクして、忌野清志郎が好きで云々~

ここで私は、「私は和歌山に住んでいて、たまに東京でライブをして、あなたたちの音源の上に私の音源が公開されていて、1番好きな音楽は、奥田民生とBlankey Jet Cityで…」

と、メールを送ったところ…

「平田」と名乗る男は、出会ってまだ5分と経たない私に、

「Blankeyを聞く奴なんてクソだ。君はthe pillowsとThe Collectorsを聞きなさい。」

と返してきました。
正直、めっちゃ腹が立ったのですが、悪い人ではなさそうというか、ただただ変わっている人だという事は認識できました。

(ちなみに、この数年後から私はThe Collectorsの大ファンになっています。あとフォローするというわけではありませんが、「平田」氏は数年後、Blankey Jet Cityをちゃんと聞いています。)

ここで「平田」という男は、

「君もデモ音源のCDがあるなら、交換しよう。」

と提案してきました。
私は彼らのデモ音源CDのプレゼントキャンペーンに応募しただけなのですが、結果的に私のデモ音源CDと交換するという事になり、私は実家の和歌山から山形の「平田」という男の実家にCDを送り、「平田」という男からは実家の山形からCDが送られてきました。

2つ折りにしたルーズリーフの中にCD-Rが入っていて、ルーズリーフには赤いサインペンで、CD-Rに収録されている曲目が「平田」という男の手書きで記されていて、曲目の他に、「将来プレミアがつくよ☆」と書かれていました。
今確実にプレミアがつくはずのこのCD-Rについて、既に予言をしていた「平田」と名乗る男。

ルーペをルーズリーフにかなり近づけないと全然読めない、というくらいに、彼の文字は汚く、視覚障害者には難解なフォントをしていました。

CD-Rにはデモ音源が26曲収録されていましたが、『ガール女モーターサイクル』の他にも私を胸ずきゅんさせる曲ばかりで、特別売れていないバンドの曲をこんなに気に入ってしまうのは、人生で初めてでした。
商品化されていないCD-Rを飽きずに繰り返し聞いて過ごすのも、人生初めてでした。
私は1曲1曲に事細かに感想を書いて、「平田」という男にメールを送り続けました。

「平田」という男とはたまに近況をメールで報告するという謎の関係が続いていたのですが、お互いのメールがだんだんフェードアウトしてきて、やがてぱったりと連絡はなくなりました。

さて、デパ地下のパン屋のバイトと東京での月1ペースのライブを続けていたさいちちゃんでしたが、せっかく再起した右目はやはり、まただんだんと視力を落としていき、パン屋のバイト中にはトングからパンを滑り落としたり、レジを打つのが遅くなったりなど、仕事にも支障を来たすようになりました。

ある日の勤務中、百貨店内の全店舗のレジがキー操作のタイプからタッチパネルのタイプに切り替わるという事を店長から知らされたさいちちゃん。
これは視覚障害者にとって一大事です、というか、私の当時の視力ではどうやっても、タッチパネルの操作というのは無理でした。

先程も書きましたように、このパン屋でバイトが決まったのは、30件目の応募でやっとの事でした。
それまでの面接はさんざんで、もちろん雇う側からすれば当然の事で、ろくに目が見えていない人をすんなり雇用する方が逆に信用しにくいとも思いますが、例えば面接で、「あなたは目があまり見えないようだから、こういう場所で働こうと思ってはいけないよ。」とか、「わざわざ働こうなんて思わずに、家で静養されてはどうですか?」などと言われた事もありました。

私も若かったので意地になっていたのもあり、こんな私でも受け入れてくれる職場があるはずと、しぶとくバイトの応募をし続けていたというか、1度取り戻した右目の視力を無駄にしたくないという思いが強くて、どこかしらのバイトが決まらない限り、応募がやめられなかったように思います。

そんな中30件目で決まったパン屋のバイトでしたが、勤務初日に店長は私に、

「うちはやる事がたくさんあるから、さいちさんができる事を見つけてやればいいし、こっちが『さいちさんにできそう。』と思ったらどんどん仕事を振るから。」

と言いました。
それで主にレジを担当させて頂ける事になったわけですが、店長からこの言葉をもらった時、30件も面接を受けてきた甲斐があった、報われた!と思いました。

そんな職場に感謝しながら退職した直後、

ハローワークに行き、窓口の職員さんに尋ねました。

さ「目が見えていなくても働ける場所ってありますか?」

職員「鍼灸マッサージの仕事なら、いくらでもあるんですけどね。」

さ「それって、どうしたらなれるんですか?」

職員「盲学校に行って、鍼灸マッサージの勉強をして、国家試験を受けて免許を取ったら、働けるようになるんです。」

帰宅して調べてみると、自宅から車で20分くらいの場所に、和歌山県立盲学校がある事を初めて知りました。
だけど、当時私は祖母と2人で暮らしていて、祖母はもう長くないだろうと予想していたのですが、いざ自分が1人になってしまった時ちゃんと自立した生活を送れるのだろうかと考えた時、今の実家から盲学校に通うのは、将来的に甘いなと思ったわけで、

いっそ家族の手の届かないところに移った方が、いざ自分が困った時でも1人でなんとかやっていくしかないから自立の訓練になるのではないかという考えに至り、盲学校がある埼玉県川越市に引っ越して1人暮らしする事に決めました。
パン屋のバイトをやめてからちょうど1ヶ月で川越市に引っ越してきたので、関東でできた友人はみんな、「意外とさらっと来たね!」とビックリしていました。

関東に住むのは初めてでしたし、せっかく視力が戻った右目はあっという間に元通りに見えない状態へと戻ったのですが、実家の和歌山にいた頃よりも気持ちも明るく前向きだったので、関東でたくさん友達ができて、外に出て楽しく活動できるようになっていました。

そしてこのタイミングで、私は「平田」という男をふと思い出しました。

私は「平田」という男に久しぶりにメールを送ってみました。

さ「私、実は埼玉に引っ越してきました。」

すると、「平田」という男からすぐに返事が来ました。

平「私も東京にいます。」

お互いほぼ同じタイミングで関東に移住していたとは。
しかも偶然にも、私も「平田」という男も、東武東上線沿線に住んでいたという。

そんなわけで、近々下北沢で「ザ・ボヘミアンズ」というバンドのライブがあると、「平田」という男から知らされたさいちちゃん。

迷わず下北沢に行き、そしてここで初めて、生「平田」くんと対面したのでした。

今のようにワンマンライブはなく、多数のバンドとの対バンライブばかりでした。
ザ・ボヘミアンズのライブに通い始めて3度目の時、ライブ後に、生「平田」くんと初めて、長く話ができる事になりました。

生「平田」くんは、ライブでさんざん歌った直後にも関わらず、「カラオケでハイロウズを歌おう。」と言いました。
私は、「ブルーハーツなら歌いたい。」と答えました。

生「平田」くんは、「ハイロウズじゃないとダメだろう。」と言いました。

結局カラオケには行かず、下北沢の居酒屋に行きました。

生「平田」くんは、お酒を「やかん」でオーダーし、ソフト麺を食べ、私には「かえる」をオーダーしてきました。
私は意図せず、生まれて初めて「かえる」を食べる事になりました。

「やかん」でひたすらお酒を飲みながら、生「平田」くんは、私に尋ねてきました。

平「目の事について質問してもいいの?嫌だったら質問しないけど、興味はあるから、もし質問してもいいなら色々質問するけど、質問していいものなの?」

なるほど!と思いました。
私の目について、「質問していいの?」と質問された事が初めてだったので、衝撃を受けました。

今まで色んな人から、「急に見えなくなって大変だね。」「耳が聞こえないのも困るけど、目が見えないのはさらに困るわよね。」「目が見えないと1番何が辛いの?」などなど、病院の待ち合いでたまたま居合わせた患者さんやタクシーの運転手さんやバイトの面接中に突然このような言葉を掛けられ、その度に、どのように説明したらよいのか分からない違和感がどんどん積もっていったのですが、この言いようのない違和感は、頭ごなしに「何もできない人」だと決めつけてから言葉を掛けていると感じたからなんだと、生「平田」くんから「質問していいの?」と尋ねられた瞬間に気付いたのでした。

実際に生「平田」くんが私にどんな質問をしてきたかは、全く覚えていません。なぜなら、「平田」くんという男は、私が今まで出会った人間の中で、全盲の扱い方が最も奇妙で印象が強過ぎるからです。

「やかん」でひたすらお酒を飲んだ生「平田」くんと、産まれて初めて「かえる」を食べたさいちちゃん、居酒屋から外に出る時、衝撃的な事が起こりました。

私は慣れない場所を歩く時はいつも、友人や知人の肩や肘を借りて歩いたり、電車で遠くの慣れない駅まで行く時は駅員さんにサポートをお願いしたりするのですが、

生「平田」くんは、私の体に指1本も触れる事もなければ、自分の肩や肘を貸す事もなく、

「15歩くらい歩いて。」
「そこから階段が10段ある。」
「次に左に曲がって。」
「3歩歩いたら止まって。」

全盲の私を、言葉のみで操作したのです。

その時以降も、例えば生「平田」くんは外で自転車に乗っていて、私が白杖をついて歩いていても絶対に私に体を貸さず、自転車の一部にすら触れさせず、彼はよたよた歩く私の遅いスピードに合わせて自転車に乗り、つまり私が歩いていようが自転車から降りる気が全くない様子で、徒歩20分ほどの距離を私1人で歩かせたり…

謎に全盲の扱いが上手いのです。

よくよく考えれば効率が悪い気もするのですが、少なくとも、頭ごなしに私を「何もできない人間」だと決めつける人たちには思いつかないやり方だと思いました。
あとやっぱり、言葉のチョイスが抜群に上手な事は確かです。
後にも先にも、全盲さいちを言葉のみで操作した人は、「平田」氏だけだと思います。

さてそんな平田くんがボーカルを務めるザ・ボヘミアンズ(THE BOHEMIANS)は、現在公開中の映画『王様になれ』に出演していますが、

実は、映画撮影の数日前に、メンバー5人皆様に、当サロンにて美容鍼をさせて頂きました!
5人皆様イケメンですが、さらにイケメン強化しました。映画では、さいちの美容鍼の効果がどんなものかもチェックできます!

そしてそして、今週9月25日にリリースされますザ・ボヘミアンズの9thアルバム、

『The POP MAN’S REVIEW』

こちらのアルバムのアーティスト写真!撮影前に目掛けて、またまたさいちが美容鍼をさせて頂いています。
写真も最高ですが、そもそも音楽が最高ですので、皆様ぜひぜひ聴いてみて頂きたいです!

アルバムのライブツアーも始まりますので、美容鍼でキレイになったら、みんなでオシャレしてライブに行きましょう♪

※画像は、以前当サロンで撮影した、生「平田ぱんだ」くん、頭に鍼を100本刺される、の図です。
※新譜の宣伝と画像の掲載について平田氏ご本人に確認を取ったところ、「ご自由に」との返答でしたので、勝手に宣伝させて頂きました。どうもありがとうございました♪

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アルルネ鍼灸治療サロン
さいち

svgさいちちゃん、色んな場所で先生をする
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